2017年 06月 08日
ただ其処に在るという事の美しさ。 |
花の美しさについて度々考えた。整った環境であろうと割れたアスファルトの間だろうと、どちらも人の手が加えられた何らかの形をしたエゴの中で、等しく咲く様が、ただ一様に美しく感じられるから。
小説家・坂口安吾は「小菅刑務所とドライアイスの工場と軍艦」が美しいと「日本文化私観」で謳っている。「美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって、取去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ、必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上がっているのである。(原文まま)」と。
花が何故美しいかを考えた時に、僕は同じ様な答えに辿り着いた。彼(彼女)等は自身が美しいという自覚は持ち合わせていない筈だとして(確定では無いから、筈)そもそも美しいなんて感覚や概念は人特有のモノであると仮定する。何が美しいという規定も答えも無いので、花が美しいという感覚の有無も人それぞれで良い(概念として存在している其れはある種のプロパガンダ)。此処で一つ、仮定としての「『ただ其処に在る』事が美しさ」というモノを確立させてしまうとしよう。整頓された環境下でもアスファルトであろうと、彼らがただ共通しているのは「ただ其処に在る」という事、与えられた様を懸命に発揮し、自身の存在だけを淡々と証明している。其れが、其れだけが、ただただ美しいと感じるのだ。そして仮定を通す際にもう一つ大事になる事があるとするのなら、環境下でもアスファルトでも、其処に花が在る事に見慣れてしまった自分達への意識喚起だ。何の違和感も感じない。見慣れたから、そう一蹴してしまうのはあまりに簡単過ぎる。見慣れたから、呼び方を変えよう。僕らは其処に花がある事を、認めたのだ。
花が何故美しいかを考えた時に、僕は同じ様な答えに辿り着いた。彼(彼女)等は自身が美しいという自覚は持ち合わせていない筈だとして(確定では無いから、筈)そもそも美しいなんて感覚や概念は人特有のモノであると仮定する。何が美しいという規定も答えも無いので、花が美しいという感覚の有無も人それぞれで良い(概念として存在している其れはある種のプロパガンダ)。此処で一つ、仮定としての「『ただ其処に在る』事が美しさ」というモノを確立させてしまうとしよう。整頓された環境下でもアスファルトであろうと、彼らがただ共通しているのは「ただ其処に在る」という事、与えられた様を懸命に発揮し、自身の存在だけを淡々と証明している。其れが、其れだけが、ただただ美しいと感じるのだ。そして仮定を通す際にもう一つ大事になる事があるとするのなら、環境下でもアスファルトでも、其処に花が在る事に見慣れてしまった自分達への意識喚起だ。何の違和感も感じない。見慣れたから、そう一蹴してしまうのはあまりに簡単過ぎる。見慣れたから、呼び方を変えよう。僕らは其処に花がある事を、認めたのだ。
許し合う事について考えた。言葉の、許すという部分に、騙されていた。すっかりとね。許し合う事は何も、自身に降り掛かる火の粉を黙認するという事じゃない。例え話をするのなら。性格の違う人間が二人いたとして、何か問題が起きたとして。一人は「こうだ」と振り翳す。自分はこう思っているんだ、と。だが前途した通り、もう一人は性格が違う、つまり考え方が違う。貴方が「こうだ」というのは分かる。でも其れは自分の考え方と違う。まるで強要されているようだ、もう何も言わないでくれ、と。人間が考える葦である以上、考える事はきっとやめられない。僕自身今此処に書き残している様に、あるいは意思の有無に関わらず、必ず自分の考えを言わねばならぬ時が来る。多少逆説的にはなるが、だから自分の「考え方」という概念が有る。話を戻そう。此処で二人が許し合う事は、起きた問題では無い。後者の方が少し答えに近い、相手が「こうだ」と思っている事を、許すのだ。許す、とは、許可するという事。それ即ち、認めるという事。許すという言葉に騙されていた、囚われていたから、簡単な事を見失っていた。許し合う事は、認め合う事だ。人それぞれの正しさを人それぞれ持ち合わせて生きている。強要は不要、ただ、自分はこうだ、という主張は許容。自分に当たる我々は、大手を振って自身の考えを伸ばせば良い。ただ、其れは突然に壊される事があるという事、自身と違う主張を受け入れる事、其れが前提に成り得るのだと僕は思うけど。僕が(僕らが)花を無意識に認め、美しいと感じる様に、認め合う事がきっと大事なんだ。認める為には、知らないといけない。認めるべき対象が分からない儘、其れだと何を認めれば良いのかわかんないから。憖、根拠に基づいているからか、自身の主張が強すぎるんだ、僕ら。其れは個人の問題だけで収まらず、国レベルでだって、そんな風になっている。認める事、そして其れは受け入れる事に繋がっていく。道理や理屈も大切だけど、そうじゃない事だって、時だって、あったって良いじゃないかって、開き直り。
独り善がり、其れでは、また。
by h_hamakawa
| 2017-06-08 19:42